亮布に物語を紡ぐ

亮布(リャンプー)

さて、先日は「亮布(リャンプー)で作るパネルアート」の話をしました。

今日はなんでまたそれに亮布を使うのか?について書こうと思います。

それは活動時間内に亮布を作ったからに他ならない…という事情ももちろんありますが(苦)、集落の伝説と亮布を組み合わせた何かを作りたい、という思いはずっと前からありました。

既に亮布で地域の祭衣装を作ったりしていますが、そもそも亮布は中国の布。。矢田集落とは何の縁もありません。笑

それなのになぜ2つを結び付けたがるのか?…そこには実はちゃんと私なりの理由があります。

現地における亮布

亮布は中国・貴州省東南部で盛んに制作されており、そこに暮らす少数民族である苗族(ミャオ族)・侗族(トン族)たちにおなじみの布です。2族ともに亮布は主に祭礼衣装の素材に使っており、衣装の上にはほぼ必ず刺繍の装飾をほどこします。

その中でも、かつて「文字を持たない民族」と称されていた苗族たちにとっては、刺繍は彼らにとっての文字であり、彼らは衣装に刺繍した図柄を通じて民族の伝承を語り伝えてきました(そのほか口伝による伝承も行われており、前族は歌が上手い民族であるとも言われています)。つまり彼らの衣装のメインは刺繍であり、亮布はいわば自分たちの物語を紡ぐための土台、つまりキャンバス的な役割を持っていたと言えます。

別に亮布でなくとも、刺繍ができれば素材は何でもよいのでは?わざわざ堅くて扱いにくい布に刺す必要はないのでは…?と思うのですが、彼らが刺繍をほどこす布は何でもよいわけではなさそうです。

刺繍の図柄も地域によってさまざま

時代を経た今でも、彼らは大抵の場合刺繍は亮布の上にほどこします(貴州東南部の場合。他地区の苗族の衣装は亮布でなかったります)。

物語の記録媒体としての亮布(貴州省東南地区の場合)

ではなぜ彼らもまた、亮布にこだわるのでしょうか?

ここからは完全に持論ですが…、彼らの伝説(刺繍)は、亮布の上に展開されることによって苗族の神話世界が完成するのではないか、と私は考えています。

亮布はその地で育った藍や草木、そして彼らにとって重要な神話モチーフとされている鳥(の卵)や牛(の皮)を使って作られています。そしてその上には種々様々に物語が刺繍され、完成した衣装を人間が纏う、、、。

亮布単体でも刺繍単体でもなく、亮布と刺繍がセットになった衣装こそが彼らの神話世界の完全体であり、人間はそれを纏うことでようやく神の御前に立つにふさわしい形態になる…のではないかと考えています。

とある本では、このことを「(人間が)神話世界と一体化する」と表現していました。いやー痺れますね…!!(私だけ?)

つまるところ亮布は「聖なる布」であり、彼らの物語を語る上では欠かせない布であることは間違いなさそうです。

そういうわけで、私は亮布は物語の記録媒体であると考えています。

本当は着用している写真が良かったけれど、、
なかなかいい写真がありませんでした。。
矢田亮布には矢田の物語を

昨夏にせっせと作った矢田の亮布には、矢田産のクルミや地域の方が飼ってた鶏の卵が一部に使われていたりします。

だからこそ矢田亮布は矢田の物語を紡ぐにふさわし、そこに私は地域の昔話や伝説・小話などを盛り込みたいと強く思っているわけです。

苗族は刺繍でもって物語を紡ぎましたが、矢田の亮布ではそこに拘らずにさまざまな手段を使いたいと思っています。彼らは文字を持たなかったからこそ針と糸が表現手段でしたが、矢田らしい表現手段はもっと他にたくさんあるかと。。(模索中です)

このようにして矢田の物語を詰め込んだ布はパネルにする予定なので、残念ながら人間との一体化は叶いません…。

…が、屋外展示などができる形態にして大地と一体化できないか?…となどと実は密かに考え中です。

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まだまだ現在は設計図を整えたり、下絵の下絵を描いているような段階…(^^;

正直なところ、私も完成イメージがまだピンと来てないのですが(!)、作ってる本人が楽しくないと意味がないと思っています。

大変なことは目に見えていますが、ワクワクした気持ちを大事に制作に励みたいと思います

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